パッチとは?
イタリアは1970年代後半から大幅に出生率が落ち込み、1990年代には既に世界有数の少子国となっていた。イタリアの場合他の国とは少し異なり著しい地域間格差(経済的に豊かで人口の多い北部と人口減少が続き産業の乏しい南部での格差)、出産・育児に関する社会保障制度の不備、女性の社会進出などに伴う核家族化の進行そして根強い伝統的価値観に基づく男女の役割意識の強さなど、かなり個性的な問題が背景にあった。
こうした中でベルルスコーニ政権は出産に際しての一時金(出産ボーナス)の導入や公的教育機関での奨学金受給枠拡大、医療産業への支援を行なった。結果2005年に出生率は1.33人にまで回復したが、依然として出生率そのものは世界的にかなり低い水準に留まっている。
イタリアをはじめとして南欧や東欧では男女の家庭内における役割意識など保守的価値観が強く(婚外子の割合も英米仏、北欧と比べてかなり低い)、行政施策だけでは抜本的な少子化解決につながらないとの見方が有力である。
オランダは1970年代から1980年代にかけて出生率が大きく下がり、1995年には過去最低の1.53に低下した。そこで政府は子育てがしやすい社会の再構築のため、数々の施策を試みた。北欧と同様、法律婚によらなくても家庭を持ち子育てが可能となるような政策が広く知られている。
具体的には『登録パートナー制度』と呼ばれ、養子を取ることや同性同士でも子育てが認められるなど、伝統的なリベラル国家オランダらしい制度が知られている。また世界でもいち早くワークシェアリングや同一労働同一賃金制度を取り入れ、パートタイム労働者であっても正社員と同等の社会的地位・権利が認められるようになった。これは家計の維持のしやすさや家庭で過ごす時間の増加につながり、ひいては出生率回復の大きな原動力となった。
また、オランダでは国籍に関係なく18歳以下の子供を持つ家庭においては税制上の優遇措置もしくは各種育児手当支給のいずれかを選択できるようになっており、これにより東欧系やインドネシア(旧植民地)系、南米スリナム系はもちろん旧住民(主に白人)の高い出生率が維持されている。2000年以降オランダの出生率は1.73〜1.75人で推移しており、欧州諸国の中でも比較的子育てのしやすい国として注目されている[6]。
ロシアでは出生率の低下が続いており、ソ連崩壊後の死亡率上昇、他国への移住による人口流出のため、1992年に主要国で最も早く人口減少過程に入った。以降、人口の自然減が続き、プーチン大統領は演説で「年間70万人の人口が減っている」と述べた。
ロシアの人口は2001年時点で1億4600万人だったが「2050年には1億人すれすれになる」とも予測されている。他方で資源バブルや欧米資本による工場建設などを背景に経済成長は著しく国家全体でも1人あたりでもGDPの増大が続く。
韓国、台湾、香港、シンガポールなどのNIESでは1960年代 - 70年代に出生率が急激に低下し、日本を超える急速な少子化が問題となっている。2003年の各国の出生率は、香港が0.94、台湾が1.24、シンガポールは1.25、韓国は02年で1.17である[7]。家族構成の変化や女性の社会進出(賃金労働者化)、高学歴化による教育費の高騰など日本と同様の原因が指摘されている。
中国やタイでも出生率が人口置換水準を下回っている。多くのアジア諸国では出生率が人口置換水準を上回っているものの低下傾向にある国が多い。中国では一人っ子政策による人口抑制が一番の要因とされる。
韓国は1970年頃に4.53人あった出生率が、経済発展と同時に急落。2000年には1.47人、2002年には1.17人、2003年には1.19人と推移した。はじめは人口急増による失業者増大などを恐れ出産抑制策をとっていた政府も21世紀に入って急激な少子化を抑えるため姿勢を一転させる。具体的には2005年のこども家庭省新設、大統領直属の少子化対策本部立ち上げ、出産支援を目的とした手当導入などが挙げられる。
しかし韓国では他の東アジア先進地域(台湾やシンガポール、香港など)と同様女性の社会進出に伴う晩婚化の進展や未婚女性の増加、そして保守的な家庭観(男尊女卑に基づく男児優遇など)に由来する出産忌避が進んだ。加えて韓国の私的教育費はOECD加盟国最高水準という状態で、激しい受験戦争や高学歴化に伴う家庭の負担増加は韓国を更なる少子国に追いやった。
2005年の出生率は1.08人と事実上世界最低水準に落ち込み、現在のところ韓国の少子化対策は不調気味であると言える。加えて韓国では経済成長の蔭り、治安悪化などによる社会不安によって若年層の海外移住や海外出産が増えており、政財界を悩ませている[8]。
日本の出生率低下は戦前から始まっていたが、外国為替
の出産先送り現象のため終戦直後の1940年代後半にはベビーブームが起き、出生数は年間約270万人に達した(1947年の合計特殊出生率は4.54)。しかし1950年代には希望子供数が減少し、人工妊娠中絶(1948年合法化)の急速な普及をバネに合計特殊出生率は急落し、多産少死から少産少死の社会へと構造的な変化を遂げた。
1960年代から1970年代前半にかけて高度成長を背景に出生率は2.13前後で安定する。しかし第二次ベビーブームと呼ばれた1973年をピーク(出生数約209万人、合計特殊出生率 2.14)として、第一次オイルショック後の1975年には出生率が2を下回り、出生数は200万人を割り込んだ。以降、人口置換水準を回復していない。
1980年代には景気回復と出生率低下が同時に進み、1987年には一年間の出生数が丙午のため出産抑制が生じた1966年の出生数を初めて割り込んだ。1989年の人口動態統計では合計特殊出生率が1.57となり、1966年の1.58をも下回ったため「1.57ショック」として社会的関心を集めた。同年、民間調査機関の未来予測研究所は『出生数異常低下の影響と対策』と題する研究報告で2000年の出生数が110万人前後に半減すると予想し日本経済が破局的事態に陥ると警告した[9]。
1990年代以降も出生率低下は続き、1992年度の国民生活白書で少子化という言葉が使われ、一般に広まった。1995年に生産年齢人口(15〜64歳)が最高値(8717万人)となり、1996年より減少過程に入った。1997年には少子社会となった。2003(平成15)年には年間出生数が112万人まで減少している。
2005年には総人口の減少が始まった。同年の労働力人口は6650万人(ピークは1998年の6793万人)であったが、少子化が続いた場合、2030年には06年と比較して1070万人の労働力が減少すると予想される[10]。
2005年の国勢調査による確定値を基に計算した結果、同年の出生率は過去最低の1.26人となった。政府や研究者の間では団塊ジュニア(主に1971?1974年生まれ)の駆け込み出産や景気回復による将来への展望の持ちやすさが今後生じ、出生率はいくらか持ち直す可能性があるという見方があるが、一方で非正規雇用の拡大に伴う労働環境や低所得者層の増加、更に社会保障や治安など社会全般に対する不安感が依然として強いことを理由に、今後の景気や施策次第では出生率はこれからも下がり続けるだろうと主張する識者も少なくない。
2007年時点での確定値は、出産年齢期の外国為替証拠金取引
が減るという分母の減少により、出産数は増加しなかったものの、出生率は1.34へと上昇した[11]。
内閣府の「少子化に関する国際意識調査」は、米国、フランス、韓国、スウェーデン、そして日本という5カ国のおよそ1000人の男女を対象として2005年に行った少子化についての意識調査の結果を報告している。これによると、「子供を増やしたくない」と答えた割合は53.1%と、他の4カ国と比較して最も多かった。(他国の増やしたくないと答えた割合はスウェーデン11%、米国12.5%、フランス22.6%、韓国52.5%)。「子供を増やしたい」と答えた割合が最も少ないのも日本であった。子供が欲しいかとの問いについては、いずれの国も9割以上が「欲しい」と回答している[12]。